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東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)17号 判決

原告

エフホフマンラロシュウントコンパニーアクチェンゲゼルシャフト

原告

ビービーシーアクチェンゲゼルシャフトブラウンボベリウントコンパニー

右原告ら訴訟代理人弁護士・弁理士

中村稔

熊倉禎男

弁理士

大塚文昭

今城俊夫

浅村皓

村田司朗

松村博

被告

特許庁長官

右指定代理人

中村寿夫

外三名

主文

特許庁が昭和五四年審判第九四二〇号事件について昭和五六年九月一一日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

主文同旨の判決

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告らは、昭和四六年一二月三日、名称を「電気光学装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について、一九七〇年(昭和四五年)一二月四日にスイス国においてした出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和四六年特許願第九八二五七号)をし、昭和五一年五月一日出願公告(特許出願公告昭和五一年第一三六六六号)をされたが、これに対し、七件の特許異議の申立があり、昭和五四年二月一九日、拒絶査定があつたので、同年八月一六日、これに対する審判を請求し、昭和五四年審判第九四二〇号事件として審理された結果、昭和五六年九月一一日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同月二六日原告らに送達された。なお、出訴期間として三か月が附加された。

二  本願発明の要旨

1  二枚の板の間に液晶が配置され、該液晶はネマチック相及び正の誘電異方性を示す物質から本質的に成つていて前記板に垂直な方向にらせん状構造を有しており、前記板は該板に隣接した前記液晶の分子に方位づけ効果を及ぼす表面構造を有しており、更に前記液晶に電場を与える手段が設けられ、また入射方向からみた前記液晶の前に一個そして後に一個の偏光子が配置されている電気光学装置。

2  二枚の板の間に液晶が配置され、該液晶はネマチック相及び正の誘電異方性を示す物質から本質的に成つていて前記液晶内に前記板に垂直な方向にらせん状構造を与える光学活性物質が添加されており、前記板は該板に隣接した前記液晶の分子に方位づけ効果を及ぼす表面構造を有しており、更に前記液晶に電場を与える手段が設けられ、また入射光方向からみた前記液晶の前に一個そして後に一個の偏光子が配置されている電気光学装置。

(別紙図面(一)参照)

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

2  ところで、昭和四五年五月九日公告に係る特許出願公告昭和四五年第一二八三九号特許公報(以下「第一引用例」という。)には、二枚の透明板の間に液晶が配置され、この液晶はネマチック液晶であつて、かつ電圧が印加されると電界方向にその分子の長軸を揃える(正の誘電異方性を示す)ものであり、同透明板には液晶に電場を与える手段(電極)がつけられており、この装置の入射光側と出射光側にそれぞれ一個の偏光子が配置されていて、液晶に電圧がかかつていない時(以下「電圧無印加時」という。)には、液晶は各ドメイン毎には整列しているものの、全体としてはランダムに配列していて、入射光の偏光方向を分散させるが、電圧印加時には、この液晶は電界の方向に長軸を整列させ、入射光の偏光方向に影響を与えないので、液晶の後方に偏光子をおけば、この二種の光を区別することができ、それにより表示装置が作られる旨の記載がある(別紙図面(二)参照)。

また、「Electro-Technology」一九七〇年(昭和四五年)一月号第四一頁ないし第五〇頁(以下「第二引用例」という。)には、まず、液晶の分類やその偏光性について記載され、ガラスの表面をこするなどして壁に方向性(本願発明にいう、板に隣接した液晶分子に方位づけ効果を及ぼす表面構造)を与えた場合、ネマチック液晶分子はその方向に長軸を揃えること(第四四頁右欄)、これに電場を加えると正の誘電異方性のあるネマチック液晶においては、光軸が電場と平行になること(第四五頁左欄ないし右欄)、ゲスト・ホスト効果について、正の誘電異方性あるネマチック材料に二色性染料を混入して壁に方向性のある二枚の板の間にはさむと、液晶は壁面ではその方向性の与えられた方向に揃い、これに電圧を印加すると液晶は電場と平行になること、及び二枚の板の壁の方向性を直交させると良い結果が得られること(第四五頁右欄ないし第四六頁左欄)等が記載されている(別紙図面(三)参照)。

更に、「IBM Technical Disclosure\Bulletin」一九七〇年(昭和四五年)一〇月号・第一三巻第五号第一二一一頁、第一二一二頁(以下第三引用例」という。)には、ネマチック液晶を用いた偏光面回転装置であつて、二枚のガラス板の一方は固定、他方は回転可能なものの表面に壁の方向性を与え、その中にネマチック液晶を配し、固定した方のガラス板側からその壁の方向性に一致した偏光光を入れ、回転可能な方のガラス板を回すと、中の液晶はガラス板に垂直な方向にらせん状となり、偏光面が回転する旨の記載がある(別紙図面(四)参照)。

3  そこで、本願発明の特許請求の範囲第一項記載の発明(以下「第一項の発明」という。)と第一引用例記載の装置を比較すると、第一項の発明は、二枚の板が隣接するネマチック液晶分子に方位づけ効果を与える表面構造(壁の方向性)を有していて、その結果(電圧無印加時に)ネマチック材料は板に垂直な方向にらせん状構造を有している点で第一引用例記載の装置と相違するが、その他の点では両者同一である。

この相違点につき検討すると、直交方向に壁の方向性がある二枚の板にはさまれたネマチック相の液晶が、電圧無印加時には壁の方向性に従つてらせん状に並ぶことは、第二引用例に照らして明らかであり、また、二枚の板の壁の方向性を変えて、それにより液晶にらせん状の配列を生じさせた時、偏光面を回転させる効果のあることは、第三引用例によつて明らかなことであるから、第一項の発明における電圧無印加時の壁の方向性に基づくネマチック液晶のらせん状構造とその光学的性質は、本件出願前周知であつたと認められる。

4  したがつて、第一項の発明は、第一引用例記載の装置に、第二引用例及び第三引用例に明示された周知の壁の方向性を与えることにより、当業技術者が必要に応じ容易に発明をすることができたと認められるので、本件出願については、特許法第二九条第二項の規定により特許することができない。

四  審決を取消すべき事由

第一引用例ないし第三引用例に審決認定のとおりの各記載のあること、第一項の発明は、第一引用例記載の装置と審決認定の点で相違すること、直交方向に壁の方向性がある二枚の板にはさまれたネマチック相の液晶が、電圧無印加時には壁の方向性に従つてらせん状に並ぶことは、第二引用例に照らして明らかであり、また、二枚の板の壁の方向性を変えて、それにより液晶にらせん状の配列を生じさせた時、偏光面を回転させる効果のあることは、第三引用例によつて明らかなこと、第一項の発明における電圧無印加時の壁の方向性に基づくネマチック液晶のらせん状構造が知られていたこと(ただし、電圧無印加時の壁の方向性に基づくネマチック液晶のらせん状構造の光学的性質が本件出願前周知であつたことは、否認する。)は争わないが、第一項の発明の特徴は、次の1のとおり、特許請求の範囲第一項記載の構成の組合せにより、電圧の印加・無印加により入射光の偏光性を維持しながら透過・不透過が切換えられるという電気光学的効果が得られ、しかも、この電圧の印加・無印加を繰返しても液晶分子の配列の再現性を維持することができるという作用を果たすことにあるところ、かかる技術的思想は、各引用例に開示ないし示唆されているところではなく、各引用例記載の装置の組合せによつて第一項の発明を得ることは容易ではないのに、審決は、次の2の(一)ないし(三)のとおり、各引用例記載の装置と第一項の発明との相違点を看過誤認し、かつ、次の3のとおり、各引用例記載の装置の組合せの困難性を看過誤認した結果、誤つて、第一項の発明は、第一引用例記載の装置に、第二引用例及び第三引用例に明示された周知の壁の方向性を与えることにより、当業技術者が必要に応じ容易に発明をすることができたとしたものであつて、いわゆる進歩性の判断に誤りがあり、取消しを免れない。

1  第一項の発明の特徴

第一項の発明は、

(イ) 二枚の板を有すること、

(ロ) 二枚の板は、該板に隣接した液晶の分子に方位づけ効果を及ぼす表面構造を有すること、

(ハ) 二枚の板の間に、ネマチック相及び正の誘電異方性を示す物質から本質的に成つている液晶が配置されていること、

(ニ) 液晶は、板に垂直な方向にらせん状構造を有すること、

(ホ) 液晶に電場を与える手段が設けられていること、

(ヘ) 入射方向からみた液晶の前に一個、そして後に一個の偏光子が配置されていること、

の組合せを構成要件とする電気光学装置であり、右の(イ)ないし(ヘ)の構成要件の組合せにより、

(a) 液晶分子は、電圧無印加時には二枚の板に垂直ならせん状構造であるが、電圧印加時には板の近傍では板の方位づけ効果によつてらせん状構造を維持し、中間部分では電場と平行に配列する。

(b) 電圧無印加時には、一方の偏光子を通つて入射する偏光光は、その偏光性を破壊されることなしに、その偏光面がらせん状構造の液晶分子により回転させられる、

(c) 電圧印加時には、板の近傍に残つている液晶分子のらせん状構造にかかわらず、偏光光の偏光面の回転は生じなくなる、

(d) 液晶の前後に各一個の偏光子が配置されているので、電圧の印加・無印加により、偏光光の透過・不透過が制御される、

(e) スイッチングのため電圧の印加・無印加を繰返しても、液晶分子の配列の変化が再現性を有する、

という作用を果たすものである。

これを要するに、第一項の発明の特徴は、ネマチック液晶分子に対し方位づけ効果を及ぼす表面構造を有する板をネマチック液晶の両側に配置して、ネマチック液晶にらせん状構造を与えることと、液晶の前後に各一個の偏光子を配置することとの組合せにより、電圧の印加・無印加により入射光の偏光性を維持しながら、透過・不透過が切換えられるという電気光学的効果が得られ、しかも、この電圧の印加・無印加を繰返しても液晶分子の配列の再現性を維持することができるという作用を果たすことにある。

2  各引用例記載の装置と第一項の発明との相違点の看過誤認

審決は、各引用例記載の装置と第一項の発明との、以下のとおりの相違点を看過誤認したものである。

(一) 第一引用例記載の装置について

第一引用例記載の装置は、各ドメイン毎には整列しているものの、全体としてはランダムに配列しているネマチック液晶を用いる点で、第一項の発明(前記構成要件(二))と相違する外、次の点で相違する。

(1) 第一項の発明では、前方(入射側)及び後方(出射側)に各一個の偏光子を配置することを必須の構成要件とし(前記(ヘ))、偏光子は、らせん状構造の液晶と相俟つて、光に対する透過性を制御する(前記(d))のに対し、第一引用例記載の装置では、前方及び後方に各一個の偏光子を配置することが第4図(別紙図面(二)参照)の実施例に示されているが、この偏光子は、その必須の構成ではなく、任意の構成であり、単にコントラスト向上のため付加的な作用を果たすにすぎない。

第一引用例記載の装置は、ネマチック液晶を用いた電気光学的光弁であり、その装置の基本的構成は、各ドメイン毎には整列しているものの、全体としてはランダムに配列している、前記のとおりのネマチック液晶を、二枚の板の間に配置し、板表面に設けた電極に電圧を印加するというものであるが、その第3図(別紙図面(二)参照)の実施例では、右の基本的構成の装置の前方から光(一般の非偏光光)が入射すると、電圧無印加時には、液晶の複屈折性効果により装置後方の観察者には装置が一様に明かるく見え、装置の所定領域に電圧が印加されたときは、その領域の液晶が電場の方向に配向するので、その領域が他の部分よりも比較的明かるく見え、明かるい背景の中にいつそう明かるいパターンが見えるという形式の表示装置が得られるというものである。そして、その第4図の実施例は、このコントラストを更に向上させるために、右の基本的構成の装置の前後に各一個の互いに直交した偏光子を配置したものであつて、前方の偏光子を通して直接偏光光が入射すると、電圧無印加時には、やはり液晶のランダム配列に基づく複屈折性効果により、直接偏光光に「若干の回転らしきもの」を生じ(この点については、後記(2)のとおり。)、そのため後方の偏光子を通過できる光成分が存在するので、装置は一様に明かるく見え、装置の所定領域に電圧が印加されたときは、その領域の液晶が電場の方向に配向するので、直接偏光光に右のような回転は生じず、その領域が他の部分よりも暗く見え、明かるい背景の中に暗いパターンが見えるという形式の表示装置が得られるというものである。

(2) 電圧無印加時において、第一項の発明では、入射する偏光光は、その偏光性を破壊されることなしに、その偏光面がらせん状構造の液晶分子により回転させられる(前記(b))が、第一引用例記載の装置では、ランダム配列の液晶分子により偏光光の偏光性が破壊されるものであつて、偏光面の回転が連続的に起こるということはない。

第一項の発明では、電圧無印加時においては、出射側の偏光子に達する光は、らせん状構造を有する液晶分子により、その偏光方向(すなわち電場ベクトルの方向)が異なつた角度にされるが、偏光性を破壊されることなく、依然として直線偏光光のままである。すなわち、液晶分子のらせん状構造を通過するにつれて偏光面の回転が連続的に起こり、ねじれた角度で出射側の偏光子に至るのである。そして、出射側の偏光子は、直線偏光光の電場ベクトルがその偏光子の偏光方向と平行であればすべての光を通し、電場ベクトルがその偏光子の偏光方向と垂直であればすべての光を阻止するものである。

したがつて、第一項の発明では、光量損失がなく、優れたコントラストを与える表示装置が得られるのである。

これに対し、第一引用例には、その第4図の実施例について、電圧無印加時に液晶がランダムに配向して「若干の偏光の回転」を生じ、回転された光が液晶後方の偏光子を通過することができる旨説明されているが、この説明は理論的に不正確であつて、実際には、液晶分子のランダム配列に基づく複屈折性効果により、入射偏光光の偏光性が破壊され(非偏光化。偏光解消)、その一部だけが出射側の偏光子を通過することができるのである。より詳しくいえば、入射側の偏光子から入つてくる直線偏光光の電場ベクトルは、すべて平行であるが、ランダム配列の液晶分子に出会うとランダム化され、出射側の偏光子に達する光の電場ベクトルは、もはやいかなる優先方位も有しないので、出射側の偏光子は、この偏光子の偏光方向に電場ベクトルを有する光成分だけを通し、その他の光成分の通過を阻止する。すなわち、出射側の偏光子は、すべての光を通すこともできないし、すべての光を阻止することもできない。

したがつて、第一引用例記載の装置では、莫大な光量損失を生じるのであつて、第4図の実施例ではコントラストが向上した旨記載されてはいるけれども、到底、実用化できる程度に満足すべきコントラストが得られるものではない。

(3) 電圧印加時において、第一項の発明では、板近傍の液晶分子は板の方位づけ効果の影響下にあり、境界層ではらせん状構造が残存するにもかかわらず、偏光光の偏光面の回転は生じなくなる(前記(c))のに対し、第一引用例記載の装置では、液晶の両側の板が液晶分子に対する方位づけ効果を有しないので、電圧印加時には、液晶分子はすべて電場と平行なホメオトロピック構造となる(板に垂直な方向に配列する。)から、第一引用例には、右のような、境界層ではらせん状構造が残存するにもかかわらず、偏光光の偏光面の回転は生じなくなるという、本願発明の基礎となつた知見を示唆するような記載は存しない。

(二) 第二引用例記載の装置について

第二引用例記載の装置は、第一項の発明の前記構成要件中(イ)ないし(ホ)を備えているが、液晶中に二色性染料を分散しているものである点及び液晶の前後に各一個の偏光子を配置するという構成(前記(ヘ))を備えていない点で、第一項の発明と構成を異にし、ネマチック液晶のらせん状構造の使用目的及び作用においても第一項の発明と本質的に異なる。

(1) 第二引用例記載の装置は、ゲスト・ホスト効果を利用した分析装置の一つの発展であつて、第一項の発明のように液晶分子のらせん状構造を入射偏光光の偏光面の回転に利用して、偏光光の透過・不透過を制御する(前記(d))のではなく、単に、電圧印加時及び無印加時の液晶分子の配列の変化を、液晶内に添加された二色性染料(ゲスト物質)の方位を制御するのに利用しているにすぎない。

(2) また、第二引用例記載の装置は、液晶の前後に各一個の偏光子を備えていないところ、むしろ、第二引用例では、偏光子の使用を避けることができることが利点として述べられている。

(三) 第三引用例記載の装置について

(1) 第三引用例記載の装置は、らせん状構造のネマチック液晶を偏光面の回転に利用するものではあるが、外部からの機械的操作によつて液晶の両側の板の相対的回転角を変化させることにより、液晶のらせん角を変化させ、偏光面の回転量を任意に制御する(偏光面を回転させた偏光をそのまま利用する。)ことを示しているだけで、第一項の発明の前記構成要件中、液晶に電場を与える手段(前記(ホ))及び液晶の前後各一個の偏光子(前記(ヘ))を備えておらず、電圧の印加・無印加により偏光光の透過・不透過を制御する(前記(d))ものではない。

(2) 第三引用例記載の装置におけるネマチック液晶は、第一項の発明(前記(ハ))におけるように正の誘電異方性を有するかどうか、不明である。液晶分子の配列の制御が機械的移動によつてなされるものであつて、電場によつてなされるものではないので、液晶が正の誘電異方性を有することは必らずしも必要でないからである。

(3) 更に、方位づけ効果を及ぼす表面構造を有する液晶両側の板の表面構造の利用の仕方について、第一項の発明では、その板の方位づけ効果により、電圧印加時にも境界層の液晶分子はらせん状構造を維持し、電場を除いたときは液晶分子は元のらせん状構造を回復するのに対し、第三引用例記載の装置では、この板の方位づけ効果を液晶分子のらせん状構造のねじれ角の変更に利用しているものである。

3  各引用例記載の装置の組合せの困難性

第一項の発明の効果を達成する目的で、第一引用例記載の装置に、第二引用例及び第三引用例に示された壁の方向性を与えて、第一引用例記載の装置におけるネマチック液晶(電圧無印加時に液晶分子がランダム配列となるもの)を、第二引用例又は第三引用例記載の装置におけるらせん状構造のネマチック液晶とすることは、以下の理由により、当業技術者にとつて容易ではないのに、審決は、この組合せの困難性を看過誤認したものである。

(一) 電圧無印加時にはもつぱら液晶分子のランダム配列による複屈折性効果を利用するものである第一引用例記載の装置におけるネマチック液晶を、液晶分子のランダム配列による複屈折性効果とは全く無関係の第二引用例又は第三引用例記載の装置におけるらせん状構造のネマチック液晶に置き換えた場合、どのような装置が得られるかは各引用例のいずれにも教示されておらず、特に、第一項の発明の前記(c)ないし(e)の作用を予測することができない。すなわち、各引用例記載の装置をどう組合せてみても、(1)液晶の光学的挙動がどういうことになるか、(2)偏光子がどのような役割を果たすか、(3)繰返しのストッチングにより液晶分子の配列の変化が再現性を有するか、は全く予測することができない。

(1) 液晶の光学的挙動について、第二引用例及び第三引用例記載の知識に基づけば、らせん状構造のネマチック液晶においては、電圧無印加時はもちろん、電圧印加時にも偏光面の回転を生じるであろうと予測するのが自然であり、らせん状構造のネマチック液晶の電圧印加時の光学的特性、特に偏光面の回転を生じないこと(前記(c))は、当業技術者が容易に予測できなかつた。

すなわち、第二引用例に教示されているとおり、電圧印加時において、板の近傍の液晶分子がらせん状構造を維持し、中心部の液晶分子のみが板の垂直な方向に配列している場合、このような液晶分子が、入射する光線の偏光状態にどのように作用するかは、第二引用例からも第三引用例からも、全く知ることはできない。むしろ、板の近傍に残つている液晶分子のらせん状構造のため、偏光光が依然として回転してしまうであろうと考えるのが、当業技術者の常識であつた。事実、第三引用例は、板に垂直な方向にらせん状構造を有するものでは、直線偏光光の偏光面がそのらせん状構造のねじれ角度だけ回転することを教示しているのであるから、第二引用例と第三引用例を併せ読んでも、当業技術者は、板の近傍に液晶分子のらせん状構造が残つていても偏光光の回転はとまるという教示を受けることはできず、むしろ、その逆に理解する方が自然である。

本願発明の出発点は、板の近傍に液晶分子のらせん状構造が残つていても偏光光の回転がとまるという驚くべき事実の発見にあつたのである。

(2) 偏光子の役割について、第一引用例ないし第三引用例のいずれをみても、また、これらをどう組合せてみても、らせん状構造のネマチック液晶の入射側及び出射側に各一個の偏光子を配置した場合、その偏光子がどのような役割を果たすのか(前記(d))は全く教示されていない。

すなわち、第一引用例記載の装置における第4図の実施例に示されている偏光子は、前記1(一)の(1)及び(2)のとおり、ランダム配列の液晶の複屈折性効果を利用するために用いられているものであり、そもそも、第一引用例記載の装置における必須の構成ではないから、第一項の発明のように電圧無印加時に板に垂直な方向にらせん状構造を有するネマチック液晶を用いた場合、入射側及び出射側各一個の偏光子がどのような役割を果たすのかは、第一用例には全く示されていない。更に、第二引用例記載の装置は、前記2(二)(2)のとおり、入射側及び出射側各一個の偏光子を備えていないし、むしろ、第二引用例では、偏光子の使用を避けることが利点として述べられている。第三引用例記載の装置では、前記2(三)(1)のとおり、入射光は偏光光ではあるが、出射側に偏光子を配置する構成は示されていない。

(3) スイッチングのため電圧の印加・無印加を繰返しても、液晶分子の配列の変化が再現性を有すること(前記(e))は、予測できなかつた。

すなわち、第一項の発明は、液晶分子のらせん状構造が、繰返しのスイッチングにもかかわらず常に再現できることを前提としているが、この事実もまた、液晶分子の配列の制御が機械的移動によつて行われ、電場によつて行われるものではない第三引用例記載の装置からはもちろん、第二引用例記載の装置からも当業技術者が到底窺い知ることのできないことであつた。逆に、電圧無印加時における液晶分子のらせん状構造に打ち勝つには非常に高い電圧を必要とし、そして、非常に高い電圧を用いると、壁の方位づけ効果によるらせん状構造が破壊され、繰返しのスイッチングがなされた場合再現性が得られないし、一方、低い電圧を用いると、板の近傍の境界層の影響を除去できず、偏光光の回転が依然として残つてしまうであろう、と考えるのが当業技術者の常識であつたのであり、このような常識を打ち破るような教示は、第二引用例及び第三引用例に存しない。

なお、板の方位づけ効果そのものが知られていたことは争わないが、そのような板の方位づけ効果を与えるにはどのような性質の、どの程度の力が必要か、板と液晶分子の結合力はどのような大きさか、それに打ち勝つにはどの程度の電圧が必要か等についても、第二引用例及び第三引用例は、何ら教示するところがない。

(二) 第一引用例記載の装置は、前記2(一)の(1)及び(2)のとおり、液晶のランダム配列に基づく複屈折性効果を利用するものであり、第二引用例記載の装置は、前記2(二)(1)のとおり、液晶分子のらせん状構造を入射偏光光の偏光面の回転に利用するという技術的思想はなく、液晶分子の配列の変化を、液晶内に添加された二色性染料(ゲスト物質)の方位を制御するのに利用しているにすぎず、第三引用例記載の装置は、前記2(三)(3)のとおり、板の方位づけ効果を液晶分子のらせん状構造のねじれ角の変更に利用しているにすぎないから、このように、それぞれ目的と作用を異にする技術的思想を開示する第一引用例ないし第三引用例記載の装置から、都合のよい部分だけを取出して結びつけ、第一項の発明を得ることは、容易ではない。

第三  被告の答弁

一  請求の原因一ないし三の各事実は認める。

二  請求の原因四の審決を取消すべき事由についての主張は争う。

審決には、原告ら主張の看過誤認、判断の誤りはない。

1  第一項の発明の特徴について

第一項の発明が原告ら主張の(イ)ないし(ヘ)を構成要件とする電気光学装置であり、原告ら主張の(a)ないし(e)の作用を果たすものであることは認める。ただし、右(a)及び(c)中の「板の近傍」という表現は、本願発明の明細書では用いられていない表現であり、不確かである。

2  各引用例記載の装置と第一項の発明について

(一) 第一引用例記載の装置

第一引用例記載の装置は、分子の配列構造が、電圧印加時には電場と平行になり、電圧無印加時にはランダム配列となるネマチック液晶を用いる点で、第一項の発明と異なることは認めるが、右のようなネマチック液晶を用いることにより、電圧の印加・無印加に伴う光の偏光面の変化(液晶分子の平行配列による偏光面の非回転及びランダム配列による偏光面の回転)と、液晶の前後に配する偏光子の作用とによつて、光の透過・不透過を制御する(以上、特に第四欄第三行ないし第六行参照。)点で、第一項の発明と同じである。

また、第一引用例記載の装置における液晶の前後に配置される偏光子は、光の透過・不透過を制御するための必須の構成であつて、第一項の発明における液晶の前後に配置される偏光子と、その目的及び作用において同一のものである。

(二) 第二引用例及び第三引用例記載の各装置

審決は、第一項の発明と第二引用例及び第三引用例記載の各装置とを比較してその異同を述べるものではないから、原告ら主張のような比較をして論ずること自体、失当というべきである。

3  各引用例記載の装置の組合せについて

第二引用例記載の装置における液晶は、電圧の印加・無印加により、液晶分子の配列構造が変化して光の偏光面の変化を生ずる(第三引用例参照。)ネマチック液晶であり、第一引用例記載の装置における液晶と同一の作用をなすものである。したがつて、同一の作用に着目して選択することは当業技術者にとつて容易であるから、第一引用例記載の装置における液晶の代わりに第二引用例記載の装置における液晶を用いることは、容易になしうることである。

なお、「第二引用例及び第三引用例記載の知識に基づけば、らせん状構造のネマチック液晶においては、電圧無印加時はもちろん、電圧印加時にも偏光面の回転を生じるであろうと予測するのが自然である。」旨の原告らの主張(請求の原因四3(一)(1))についていえば、確かに、第二引用例第四五頁左欄の図面(b)によれば、第二引用例記載の装置では、電圧印加時において、板の近傍の一部の液晶分子が電場の方向に向かないで残つているように示されているが、そのことによつて光の透過・不透過の制御が不能になる旨の記載は見当たらないところからみて、電圧印加時には光の偏光面の回転が生じないとみるのが相当である。

第四  証拠関係〈省略〉

理由

一請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、同二(本願発明の要旨)及び同三(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、請求の原因四の審決を取消すべき事由の存否について判断する。

1  本願発明の特許公報によれば、本願発明は、「2枚の板の間に配置された液晶を有する光学セルであつてこのセルの光学活性は電場または磁場によつて制御可能である光学セルに関する」ものであつて、「光学的に一様でありかつ入射光のコヒレンスおよび偏光が保存される光学セルを得ることを目的とする」ものであることが認められ、そのうち第一項の発明が、請求の原因四1記載の(イ)ないし(ヘ)を構成要件とする電気光学装置であり、同記載の(a)ないし(e)の作用を果たすものであることは、当事者間に争いがなく(ただし、被告は、右(a)及び(c)中の「板の近傍」という表現は、本願発明の明細書では用いられていない表現であり、不確かであるとするが、〈証拠〉によれば、右「板の近傍」とは、その範囲は明確でないものの、明細書の発明の詳細な説明中の、二枚の板のそれぞれの表面に接着した「境界層」の意であることが認められる。)、これに、前記争いのない本願発明の要旨及び〈証拠〉を総合すると、

要するに、第一項の発明の特徴は、

液晶分子に対し方位づけ効果を及ぼす表面構造を有する二枚の板を、ネマチック相及び正の誘電異方性を示す液晶の両側に配置して、右液晶に対し板に垂直な方向にらせん状構造を与え、更に、液晶に電場を与える手段を設け、液晶の(両側の板の)前後に各一個の偏光子を配置する構成を採ることにより、

電圧無印加時には、液晶分子が、そのらせん状構造により、一方の偏光子を通つて入射する偏光光の偏光面を、その偏光性を破壊することなしに連続的に回転させ、電圧印加時には、板の近傍以外の中間部の液晶分子が電場と平行(板に垂直)に整列してそのらせん状構造を失うため、入射偏光光の偏光面を回転させないという光学的性質を利用し、液晶の前後各一個の偏光子と相俟つて、電圧の印加・無印加により、入射光の偏光性を維持しながら透過・不透過が切換えられるという電気光学的効果が得られ、しかも、この電圧の印加・無印加を繰返しても液晶分子の配列の再現性を維持することができるという作用を果たすことにあること

が認められる。

2  しかして、原告らは、前記の構成を採ることにより前記の作用を果たすという第一項の発明の特徴とする技術的思想は、各引用例に開示ないし示唆されているところではなく、各引用例記載の装置の組合せによつて第一項の発明を得ることは容易ではないのに、審決は、各引用例記載の装置と第一項の発明との相違点を看過誤認し、各引用例記載の装置の組合せの困難性を看過誤認した結果、いわゆる進歩性の判断を誤つた旨主張するので、まず、第一引用例記載の装置について検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、第一引用例記載の装置は、「電気光学的光弁、特にネマチック液晶を用いた光弁に関する」ものであり、そのうち、審決が第一引用例に記載されていると認定した表示装置と認められる第4図(別紙図面(二)参照)の実施例のものは、これを前記第一項の発明の構成及び作用に対応させて整理すると、

二枚の板(透明板)を、正の誘電異方性を示すネマチック液晶であつて、電圧無印加時には各ドメイン毎には整列しているが全体としてはランダムに配列しているものの両側に配置し、更に、板には液晶に電場を与える手段(電極)を設け、液晶の両側の板の前後に偏光方向の交差する各一個の偏光子(偏光板)を配置する構成を採ることにより、

電圧無印加時には、液晶分子が、そのランダム配列により、一方の偏光子を通つて入射する偏光光の偏光方向を分散させ、(この点については、後記(二)参照)、電圧印加時には、液晶分子が電場(電界)と平行(板に垂直)に整列するため、入射偏光光の偏光方向に影響を与えないという光学的性質を利用し、液晶の前後各一個の偏光子と相俟つて、電圧の印加・無印加により、入射光の透過・不透過が切換えられるという電気光学的効果が得られ、しかも、この電圧の印加・無印加を繰返しても液晶分子の配列の再現性を維持することができるという作用を果たすものであること、ただし、液晶の前後各一個の偏光子は、これを備えない第3図(別紙図面(二)参照)の実施例のもの(他の構成は第4図の実施例のものと全く同じ。)を透過型(反射型又は、呼吸型ではなく)で動作させる場合に、そのコントラストを向上させるために配置するものであること

が認められ、これに反する証拠はない。

(二)  そこで、右第一引用例記載の装置(ただし、第4図の実施例のものをいう。以下同じ。)と第一項の発明とを対比すると、第一項の発明は、二枚の板が液晶分子に対し方位づけ効果を及ぼす表面構造を有していて、その結果、液晶に対し板に垂直な方向にらせん状構造を与えるものであり、液晶分子が、電圧無印加時には、そのらせん状構造により、一方の偏光子を通つて入射する偏光光の偏半面を、その偏光性を破壊することなしに連続的に回転させ、電圧印加時には、板の近傍以外の中間部の液晶分子が電場と平行(板に垂直)に整列してそのらせん状構造を失うため、入射偏光光の偏光面を回転させないという光学的性質を利用し、液晶の前後各一個の偏光子と相俟つて、電圧の印加・無印加により、入射光の偏光性を維持しながら透過・不透過を切換えるものであるのに対し、第一引用例記載の装置は、二枚の板が右のような方位づけ効果を及ぼす表面構造を有しておらず、液晶分子が電圧無印加時には各ドメイン毎には整列しているが全体としてはランダムに配列しているものであり、その液晶分子が、電圧無印加時には、そのランダム配列により、一方の偏光子を通つて入射する偏光光の偏光方向を分散させ、電圧印加時には、電場に平行(板に垂直)に整列するため、入射偏光光の偏光方向に影響を与えないという光学的性質を利用して、電圧の印加・無印加により、入射光の透過・不透過を切換えるものであり、液晶の前後各一個の偏光子はコントラスト向上のため配置するものである点で相違する。

この点について、被告は、第一引用例記載の装置は、分子の配列構造が、電圧印加時には電場と平行になり、電圧無印加時にはランダム配列となるネマチック液晶を用いる点で、第一項の発明と異なることは認めるとしながら、右のようなネマチック液晶を用いることにより、電圧の印加・無印加に伴う光の偏光面の変化(液晶分子の平行配列による偏光面の非回転及びランダム配列による偏光面の回転)と、液晶の前後に配する偏光子の作用とによつて、光の透過・不透過を制御する点で、第一項の発明と同じであると主張するが、第一引用例記載の装置は、抽象的に、電圧の印加・無印加に伴う光の偏光面の変化を利用するものとはいえても、電圧印加状態における液晶分子の平行配列による偏光面の非回転及び電圧無印加状態における液晶分子のランダム配列による偏光面の回転を利用するものとはいえない。すなわち、〈証拠〉によれば、確かに、第一引用例第四欄第二行ないし第六行には、電界印加のないときに装置が一様に明かるく見えるのは、「領域がランダムに配向して若干の偏光の回転を生じ、回転された光が第2の偏向板42を通過することができるからである。」と記載され、その外、第一引用例には、「入射偏光の偏光面を回転させる」、「装置30を介して電界を印加したときは、この発明の液晶組成物の各領域は、液晶分子が入射光の方向に平行になるように配列される。これが生ずると偏光面は回転せず、」と記載されていて、第一引用例記載の装置も、第一項の発明におけると同様の意味で、電圧無印加時には入射偏光光の偏光面を回転させ、電圧印加時には、偏光面を回転させないという偏光面の回転・非回転の作用を利用するものであるかのように記載されていることが認められるが、〈証拠〉によれば、第一引用例記載の装置において、電圧無印加時に装置が一様に明かるく見えるのは、液晶のランダム配列に基づく「複屈折性の効果」により、一方の偏光子を通つて入射した偏光光の偏光性が破壊され、出射側の偏光子に達する光の電場ベクトルはいかなる優先方位も有しなくなるので、入射側の偏光子と交差する出射側の偏光子の偏光方向に電場ベクトルを有する光の成分が該偏光子を通過するからであり、電圧印加時に電圧を印加した所定領域が暗く見えるのは、液晶分子が電場と平行に整列するため、入射偏光光がその偏光性を破壊されることなく入射側の偏光子と交差する出射側の偏光子に達するので、該偏光子を通過することができないからであると認められるのであつて、第一項の発明において、電圧無印加時に入射偏光光がその偏光性を破壊されることなく液晶のらせん状構造に従つて連続的に回転させられるのとは全く異なるものである。

これを要するに、光の透過・不透過を制御する手段として、第一項の発明は、電圧無印加時には液晶分子が板に垂直な方向にらせん状構造を有するため、入射偏光光の偏光面をその偏光性を破壊することなく、連続的に回転させ、電圧印加時には液晶分子が電場と平行になるため、入射偏光光を回転させないネマチック液晶を用いるものであるのに対し、第一引用例記載の装置は、電圧無印加時には液晶分子が各ドメイン毎には整列しているものの、全体としてはランダムに配列しているため、入射偏光光の偏光性を破壊し、電圧印加時には液晶分子が電場と平行になるため、入射偏光光の偏光性を破壊しないネマチック液晶を用いるものである点で相違するということができる(原告らが第一引用例記載の装置と第一項の発明との相違点として掲げる請求の原因四2(一)の(1)ないし(3)の各事項は、第一引用例記載の装置における偏光子がその必須の構成であるかどうかはさておき、右の点に帰するものと解される。)。

3 そこで、第一引用例記載の装置において、そこに用いられている液晶を第一項の発明における液晶とすることが、第二引用例及び第三引用例記載の各事項から容易であるかどうかについて検討すべきところ、右2に説示したところから明らかなように、第一項の発明及び第一引用例記載の装置は、そこに用いられている液晶の電圧無印加時と電圧印加時とにおける光学的特性の差を利用して光の透過・不透過を切換え、明・暗の表示を行うものであるから、液晶の電圧無印加時と電圧印加時とにおける状態ないし光学的特性は、常に一体に、対のものとして検討されるべきものであつて、これを切離して別々に論ずることはできないというべきであり、この種の液晶を用いる電気光学装置において、そこに用いられている液晶を他の液晶で置換えることが容易であるかどうかの判断に当たつては、置換によつて用いられるべき液晶の電圧無印加時と電圧印加時とにおける状態ないし光学的特性を一体に、対のものとして検討し、その置換が容易であるかどうか判断しなければならないというべきであるから、この観点に立つて検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、第二引用例には、同じ方向に表面を摩擦して壁の方向性(第一項の発明にいう、液晶分子に対し方位づけ効果を及ぼす表面構造)を与えた二枚のガラスの間にネマチック液晶を配した場合、液晶分子はその方向に長軸を揃えること(以下「A部分」という。)、正の誘電異方性を示すネマチック液晶に電圧を印加すると、光軸が電場と平行になること(以下「B部分」という。)、ゲスト・ホスト効果について、正の誘電異方性を示すネマチック液晶に二色性染料(ゲスト物質)を添加して、壁の方向性のある二枚の板の間に配すると、液晶分子はその方向性の与えられた方向に揃い、これに電圧を印加すると電場と平行になること、二枚の板の壁の方向性を直交させると良い結果が得られること(以下「C部分」という。)が記載され、また、〈証拠〉によれば、第三引用例には、ネマチック液晶を用いた偏光面回転装置であつて、一方は固定、他方は回転可能の二枚のガラス板の表面に壁の方向性を与え、その中にネマチック液晶を配し、固定した方のガラス板側からその壁の方向性に一致した偏光光を入れ、回転可能な方のガラス板を回すと、中の液晶はガラス板に垂直な方向にらせん状となり、偏光面が回転する旨記載されていることが、それぞれ認められる。

(二)  しかして、被告は、第二引用例記載の装置における液晶は、電圧の印加・無印加により、液晶分子の配列構造が変化して光の偏光面の変化を生ずる(第三引用例参照。)ネマチック液晶であり、第一引用例記載の装置における液晶と同一の作用をなすものであるところ、同一の作用に着目して選択することは当業技術者にとつて容易であるから、第一引用例記載の装置における液晶の代わりに第二引用例記載の装置における液晶を用いることは、容易になしうることである旨主張するが、第一項の発明に用いられている液晶は、右被告主張の「電圧の印加・無印加により、液晶分子の配列構造が変化して光の偏光面の変化を生ずるネマチック液晶」というような広い概念のものではなく、前示のとおり、電圧無印加時には液晶分子が板に垂直な方向にらせん状構造を有するため、入射偏光光の偏光面をその偏光性を破壊することなく連続的に回転させ、電圧印加時には液晶分子が電場に平行となるため、入射偏光光を回転させないネマチック液晶であるから、第一引用例記載の装置における液晶を、右のように限定された第一項の発明における液晶とすることが、第二引用例及び第三引用例記載の各事項から容易であるかどうか、具体的に検討しなければならない。

(1) そこで、前記(一)認定の第二引用例記載の事項を考えるに、前記A部分は、単に、二枚の板の方位づけ効果を記述するものであつて、液晶分子のらせん状構造や偏光面の回転、電圧の印加・無印加などに触れるところはなく、また、B部分は、正の誘電異方性を示すネマチック液晶分子が、電圧印加時に電場と平行になることを示すだけであつて、電圧無印加時の状態との対比が十分でなく、まして、液晶分子のらせん状構造や偏光面の回転などに触れるところがない。

C部分は、偏光特性に関する知見を除き、第一項の発明における液晶の特徴をすべて備えている液晶を示すものであつて、すなわち、そこに示されている液晶は、電圧無印加時には、壁の方向性を直交させた二枚の板の方位づけ効果により、液晶分子が板に垂直な方向にらせん状構造を有し、電圧印加時には液晶分子が電場と平行になるものであるが、これは、その液晶の中に添加された二色性染料(ゲスト物質)による光の吸収作用を利用する、いわゆるゲスト・ホスト効果に関するものであつて、電圧の印加・無印加による液晶の配列の変化(電場に平行・らせん状構造)を二色性染料の方位の制御に利用しているにすぎず、第一項の発明におけるように、右液晶の配列の変化を偏光面の回転・非回転の作用に利用するという技術的思想は全く開示されていない。

(2)  第三引用例には、方位づけ効果を有する二枚の板の間にネマチック液晶を配し、二枚の板のらせん角を変化させると、液晶は板に垂直な方向にらせん状構造となり、偏光面が回転することが示されているが、電圧の印加・無印加によつて液晶のらせん状構造を変化させ、これを偏光面の回転・非回転の作用に利用するという技術的思想は全く開示されていない。

(3)  右(1)及び(2)によれば、第一項の発明における液晶が第二引用例及び第三引用例に直接記載されていないことは明らかであるが、第一項の発明における液晶に最も近い液晶を示すC部分について検討するに、そこに示されている液晶は、前示のとおり、偏光特性に関する知見を除き、第一項の発明における液晶の特徴をすべて備えているものであり、このような板に垂直な方向にらせん状構造を有する液晶の偏光特性について、右のような液晶が電圧無印加時に偏光光の偏光面を回転させることは第三引用例記載の装置から容易に予測しうるところであるが、電圧印加時の偏光特性について、原告らは、第二引用例及び第三引用例記載の知識に基づけば、らせん状構造のネマチック液晶においては、電圧無印加時はもちろん、電圧印加時にも偏光面の回転を生じるであろうと予測するのが自然である旨主張し、被告は、電圧印加時には光の偏半面の回転が生じないとみるのが相当である旨主張する。

〈証拠〉によれば、第二引用例のC部分に、板の方位づけ効果を受けた液晶分子が電圧印加時に電場と平行になることが記載されているとはいつても、そのゲスト・ホスト効果を示す第四五頁左欄の図(そのうち、正の誘電異方性を示すネマチック液晶を用いる場合と認められる(b))には、電圧印加時に二枚の板の間の液晶分子すべてが電場と平行になるわけではなく、電場と平行になるのは二枚の板の中間部の液晶分子だけであつて、板の近傍の液晶分子は板の方位づけ効果の影響を受けたままであることが示されていることが認められ、これから、二枚の板の壁の方向性を直交させた場合には、それぞれの板の近傍では液晶分子のらせん状構造が維持されることが容易に推認できるところ、かかる状態の液晶の偏光特性について、原告ら主張のように第二引用例と第三引用例を併せ読んでも、当業技術者として、電圧無印加時と全く同様に偏光面を回転させるであろうと予測することはできず(第三引用例は、原告ら主張のように、らせん状構造のねじれ角度だけ偏光面が回転することを教示しているが、第二引用例の右図面(b)には、前示のとおり二枚の板の中間部の液晶分子は電場と平行になることが示されているのであるから、第三引用例記載の装置の場合と全く同じとは考えられない。)、さりとて、被告主張のように、偏光面の回転が全く生じないと予測することもできず、結局、板の近傍のらせん状構造の液晶分子と中間部の電場と平行な液晶分子のため、ある程度偏光面を回転させるであろうが、電圧無印加時における偏光面の回転の程度には達しないものと予測するのが自然であるというべきである。

これを要するに、第二引用例及び第三引用例記載の各事項によれば、第二引用例記載の装置における液晶(C部分)は、電圧無印加時と電圧印加時とで偏光面の回転の程度に差があることまでは予測することが容易であるとはいえても、被告主張のように電圧印加時には偏光面の回転が全く生じないとまで予測することは困難であるといわなければならない。そして、本願発明の特許出願(優先権主張日)前、この種の液晶を用いて入射偏光光の透過・不透過を切換える電気光学装置にあつては、電圧無印加時と電圧印加時とで偏光面の回転の程度に差があれば足り、この偏光面の回転の程度の差を利用することにより、右のような電気光学装置を得ることが可能であるとの知見が在したとの事実を認めるに足りる証拠はないから、結局、第一引用例記載の装置における液晶の代わりに第二引用例記載の装置における液晶を用いることは容易になしえないものといわなければならない。

4 以上によれば、第一引用例記載の装置において、そこに用いられている液晶を、第二引用例及び第三引用例記載の各事項に基づき、第一項の発明における液晶とすること、ないしは各引用例記載の装置の組合せによつて第一項の発明を得ることは容易ではないというべきところ、審決は、液晶の電圧無印加時と電圧印加時とにおける状態ないし光学的特性を一体に、対のものとして検討することなく、単に、第一項の発明は、電圧無印加時にネマチック液晶が二枚の板の方位づけ効果により板に垂直な方向にらせん状構造を有している点で第一引用例記載の装置と相違するが、その他の点では両者同一であるとし、この電圧無印加時について、第一項の発明における壁の方向性に基づくネマチック液晶のらせん状構造とその光学的性質は、第二引用例及び第三引用例記載の各事項から、本件出願前周知であつたと認められるから、第一項の発明は、第一引用例記載の装置に、第二引用例及び第三引用例に明示された周知の壁の方向性を与えることにより、当業技術者が必要に応じ容易に発明をすることができたと判断したものであつて、各引用例記載の装置の組合せの困難性を看過誤認したものというべく、原告ら主張のその余の点について判断するまでもなく、審決は違法として取消しを免れないといわなければならない。

三よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告らの本訴請求は、正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官秋吉稔弘 裁判官竹田 稔 裁判官水野 武)

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